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2020/01/24

☆画像と内容は全く関係ありませんww

最近思うのですが、通勤ラッシュとか街の雑踏とかそういうようなもので「殺伐」といった表現をよくしていますよね。これっていつからなんでしょう?私は田舎育ちなもので大学時代以外そういった「殺伐」は経験こそしてはいないものの、物心ついたときには通勤ラッシュ等はテレビを始め、情報として知ってはいました。きっともっと昔からあることなんでしょうけども、しかしいつからなんだろうか?気になります。
急にこんな事書くのも理由がありまして、度々出てくる話として
「満員電車での赤ちゃん」論議です。
最近では立川志らく氏のツイートが話題になりましたね。
様々な声の中、「通勤ラッシュにベビーカー乗せるな!」という自分と同じような環境の面々の事しか想像出来ない輩のリプに、「優しさ」「おたがいさま」という言葉を使い反論するこの思考が私には非常に仏教的に感じました。
数多あるお釈迦さまの教えの中で、
妙法蓮華経如来寿量品第十六
には
『質直意柔軟 一心欲見仏 不自惜身命』(質直にして意(こころ)柔軟(にゅうなん)に、一心に仏を見たてまつらんと欲して、自(みずから)身命(しんみょう)を惜しまず)
とあります。
先ほどの電車内での話でも、中には「ラッシュにベビーカーで乗るなんて!」という人もいれば、「赤ちゃんが乗ってなにが悪い!」という人もいることでしょう。第三者である私を含めたそれらの人があーだこーだ言った所で何も解決にはなりません。
先ほどの教えを汲めば、責めている人物は将来の希望である赤ちゃん、その育成に身命をかけて携わる親を柔軟な心で見てあげる事、自身も赤ちゃんの時期があったことを想像すれば温かく見てあげることが何もマイナスにならない事、翻ってまた親も素直な気持ちで迷惑かけて申し訳ないと思うことも大事なことてす。ラッシュ時に赤ちゃんをベビーカーに乗せて乗ることは避けた方がいいのはもちろんでしょうが、乗らなければいけない事もあるでしょう。そんな気持ちで双方考える事がとお互いがまさに「おたがいさま」の気持ちで接すればただの“日常”になるはずなのです。
これは無関心の勧めではありません。積極的に自分と他人とを鑑みて、より良い結果が出るように思考しましょうということです。
仏さまは絶対にどんな方も見放しません。日々努力して、たまに休んでより良い結果を皆様とともにだせるようになりたいですね。

大正13年(1924) ソ連のサンクトペテルブルクがレニングラードに改称した日だそうです。